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Bonsoir

誰かのためが自分のため

茶道と着付けとディズニーランドとコーヒーがつながった。

全て「そこに招く誰かのための考え抜かれたさりげなさ」だった。

そして、誰かのため、が、自分のために一番居心地よい空間になっていたのだ。


茶道を通して、道具を大切に扱う心を学ぶ。

使い捨てじゃない。あるものを長く、大切に使う。

畳も茶碗も、お仕覆も掛け軸も、ひとつひとつが合理的で理にかなっている。

茶道は化学。茶道は物理。

着物の着付けも論理的。

合理的で論理的な動作は、半分理系の私にはとても理解がしやすい。

お点前も着付けも、きっと得意な方なんだと思う。


自然な流れのお点前は、結果的にお茶を淹れる適度な温度をつくりだす。

汚れものをお客様に見えないような立ち位置や足さばき。

炭の燃え尽きる時間を計算したかのようなお点前。

水とお湯の音の違い。

湯返しをする理由。

季節や気温に合わせた炉の位置。

質感のバランスを合わせた道具合わせ。

竹と竹、塗り物と塗り物。

飾り物とお道具。

故事にちなんだ掛け軸とお道具。

着物の動作と道具の位置。


それらが計算されつくして、洗練されつくして、そこに生まれる世界。

それが気持ちよくて居心地よい空間になっている。

まさに、時間と場所のかけ合わせでできる唯一無二の空間。


誤解を恐れないで言うなら、夢の国ディズニーランドとお家元の今日庵は、客人第一という点で近いものを感じてしまう。

シンデレラ城へのアプローチを最大限演出するために、入り口から建物の高さを順に下げて生み出す錯覚。園内から外の世界を感じさせるものを見せない配慮。キャストの徹底されたおもてなし。できません、と言わない接客。完璧さの追及。

感性は比較できないけど、お茶室も同じこと。一服のお茶を最高のコンディションでお出しする演出としてのお点前。季節感や客人の状況に合わせたしつらいやお道具の選定。すべてはお客様に心地よく過ごしてもらうために進める早めの準備。


その場に招く方のことを思って空間を作り上げることが、結果的に自分がとても居心地の良い空間になる。

そして、それが計算されつくし、洗練された自然さで、論理的で科学的なものほど、気持ちいい。





# by ak-produce | 2022-01-26 23:26 | private

集まりたさとオンライン

集まりたい

集まれないときには集まらなくても集まってしていたことの代替は必要。

でも、集まれるのに集まらないのはなぜだろう。

集まりたくないから、集まらなくても済むことだから、という場面はあるとして。

その場面が多いと、集まらない時間が多くなるけど。

集まれないときは集まらなくても、集まれるときは集まりたいのはなぜだろう。

あくまで私の場合。

私は、その場の空気込みでコミュニケーションしているから、集まれるときは集まりたい。

人の気配を感じたい。

集まらない場合は人に関する情報量が一気に減ってコミュニケーションがうまくとれない。

出会って得られていた情報の半分も得られないし、届けられない。

作りこまれた表面上の情報にしかならないもどかしさが残る。

口から発する言葉による表現の下手さ、なのかもしれない。


方や、デジタル技術の恩恵はかなり受けている。

ピッと会計。

ピッと返信。

ピッとお買い物。

情報過多とネット社会への不信感とさえ適度に付き合えば、デジタルの便利さは革命。

だから、敬遠しているわけでもなく、適度に享受したいと思っている。


さて、オンライン会議。

家事の合間、遠方からの参加、音声だけ聞いたり、都合に合わせて参加できる。

テキストだけでなく、身振り手振りの情報もあるし。

今まで行けなかった時間帯の行けなかった講演会に参加できるのは嬉しい。

参加保証の入り口を開けてくれてありがたい。


だけど、空気込みのコミュニケーションをしてきた私には物足りない。

そこで出会えていたかもしれない方とも出会えなくなった気がしてさみしい。

何か、大事な情報が欠けているような気がして、その場に居るハードルが高い。

その逆で、感受性が高くて情報量をそぎ落としたい人にはちょうどいいのかもしれない。


誰かにとっていいものは、

他の誰かにとって苦手だったり。

誰かにとって得意なことは、

他の誰かにとって蕁麻疹物の不得手だったり。


多様性を受け入れる、って、そんな人たちが共存すること。

オンラインがすべてではない。

集まることがベストなわけでもない。

そこにいる人たちが、そこにいる人たちの価値観や望みをできるだけ叶え合う。

苦手な時は、それを排除したり、蔑んだりするのでなく、助け合いながら叶え合う。


オンラインの普及は、そんな付き合い方を思い出させてくれている。






# by ak-produce | 2022-01-23 16:03 | community

アリバイワークショップを経て

「ありばいワークショップ」に辟易した20~30代。

今もう一度、その教訓を胸に刻んでおきたい。

「住民参加」という言葉は、主体性が別のところにあることも暗に意味する。

私が関わることが多かった土木事業では、きっかけは大規模開発事業の反対運動だった。ダムとか幹線道路とか、所有している土地や居住場所を開発用地に提供するような利害関係にある地元住民の理解を得ることも欠かせない仕事だった。

そんな時、実施直前になって大きく反対の声が出ないよう、事前に利害関係者の意見を聞き、より実態に即した計画に反映していくため、たてまえではなく本音を言える機会を設け、楽しみながら前向きに意見を言える場をつくるための話し合いの手法がよく使われた。これが、いわゆる「ワークショップ」という名前で浸透する。

とりあえず住民の意見を聞いた、というありばいづくりの場になるのか、住民の意見を取り入れてより良いものにしていこう、という協働の場になるのかは、発注者側の行政職員によってまちまちで、結構あいまいだった。なぜなら、公共事業は専門知識もいるし、全ての人の意見を取り入れることで中途半端な完成度に陥る場合もあるから、最終決定は行政側で行うのが常だからだ。

発注者側に少しでも住民の声に寄り添う姿勢があれば、その場はその後の公共事業の実施段階や完成後にも続く信頼関係ができたけど、当時の行政職員の全員がそうだったわけではない。だから、「アリバイワークショップ」という言葉に辟易していた。

ただ、その経験も経て、「住民協働」と言われる場に関わることも増えた。

行政が決定して実行するそれまでの公共事業でなく、住民も主体的に実行する協働事業が領域を広げた。巨大なモノができるハード整備では難しくても、福祉や環境など日常の暮らしに直結したソフトなサービスでは、住民でも行動できることがたくさんあることに気づかされた。一人一人の行動が、本当の「公共」の意味だとわかったのもそのころだった。土木で言えば、計画段階から住民が「参加」し、行政と住民が信頼関係を作って事業が完成すると、完成したものへの愛着も自然とはぐくまれ、維持管理に住民が主体的に関わる「協働」の形が生まれることも視野に入っていた。住民参加は、そのプロセスにおける信頼関係の構築の意味もあった。

「住民主体」は、もはや行政が主語ではない。一人一人が自律的に活動することを言う。

土木工事も、江戸時代までさかのぼれば住民主体だった。公儀橋の予算は地元の有力者が寄付していたし、管理は周辺住民が日常的に担っていた。それを、特に戦後の行政は一気に推進力をもって強制的にものづくりを進めたから、「住民参加」という逆発想的な言葉が生まれるまでに至った。

今は、財政難に陥る行政も信頼できない、地域で話し合って決める自治能力も下がっている。だけど、社会への関心や、まちづくりへの参加意欲は高まっていることに期待して、過度な行政依存から脱して、本来の「住民主体」を取り戻そうとしている。


そのときの行政の役割は何なのか。

行政と住民の信頼関係は、もはやフラット。むしろ、社会的ニーズから取り残されている行政は、日常に一番近いところにいる住民の行動から学ばなければならない。住民が主役の場づくりで行政が心がけておく姿勢を今一度明らかにしておかなければならない。

その事業の決定者は誰なのか、

その事業の実行者は誰なのか、

その場で出た意見はどのように扱うのか、

をはき違えるといけない。

アリバイワークショップと根回しは違う。

物事を進めるのに、事前に意見を聞いておいた方がいい人に聞いておく、という根回しを否定するものではない。

今、この場に参加している人に求めるのは、何なのか。

行政主体の事業に意見することなのか、同じ立場で一緒に作り上げることなのか、相互理解を深めることなのか。

何を目的にしているのか明らかにして挑まないと、逆に住民の信頼を裏切る。

私の場づくりへの関心は、対立構造を未然に防ぐこと。

みんな仲良くやったらいいのに、という純粋な想いから。

頑なな反対者やアンチは一定存在するが、それでも、より多くの住民が納得する形で公共事業を進めるため、説明責任も含めてプロセスを大切にしたかった。

というこれまでの経験から来る思いは、今のまちづくりアドバイザーの仕事でも根底にある。公務員、コンサルタント、個人事業、NPO、市民活動団体など、様々な立場にいた経験が武器でもあるけど、立場を共感しすぎて仇にもなる。

自戒の念をこめて、回りまわってアリバイワークショップに加担しないよう、利害関係者の信頼を削がないよう、場づくりやプロセスづくりの原点に立ち返りながら、行政の方と住民の方との両方の声に耳を傾けていきたい。





# by ak-produce | 2022-01-18 09:00 | how-to memo

年の初めに

毎年この時期は、年の変わり目と年齢の変わり目が重なるから、自分を振り返る貴重な機会になっている。


1年間の今日、ズボラな日常と自己表現の苦手意識を克服したかった自分に課したたったひとつのことは、「1日1回以上のSNS投稿」。

恐る恐るスタートしてみたけど、まずは、達成できた自分を褒めてあげたい。


ズボラさはなかなか克服できないけど、朝一投稿を習慣化することで朝型生活が苦痛じゃなくなった。あと、SNSは簡単で手軽なので三日坊主にならなくて済んだ。

自己表現も苦手なのは変わらないけど、何に気を留めているか、を文章化することで言葉が残り、他人に伝える訓練になることがわかった。


そして、それぞれに届け方や役割、面白さが違うことがわかった。

ツイッターとインスタは不特定多数に向けて大海原で叫んでいるような感覚。

フェイスブックはつながりある方に向けて情報提供している感覚。

ブログは私に関心を持ってくださった方が行きつくような場所。


言葉を洗練させていく作業が好きだから、文字制限内に収めるツイッターが面白かった。独り言や他人の名言をつぶやきがちだけど、今年は「伝える」ことも意識していきたい。

ak-produce (@AkProduce) / Twitter


インスタは、映えるための技術に気を取られて、その場しのぎになりがち。だけど、何にもネタが浮かばない時でも写真1枚で自己表現できるから、程々に使い分けていきたい。

Akane Kobayashi(@favorite_details)


フェイスブックは、活動報告やシェアが中心。これまでつながりのある方だけでなく新しくつながった方にも、顔を思い浮かべながら近況報告をしていきたい。

小林 明音 | Facebook


途中からブログも再開してみた。読み物としての新聞や寄稿文、書籍などで気に留めたことと、その時感じたことを文章化してみた。意外とこれにハマって、パソコンを開いたら投稿する、も習慣化しつつある。

Bonsoir (exblog.jp)


それぞれの使い方は見様見真似で、使いこなしができていないのは反省点。ストーリーズとか、アプリ間の連動は理解できてないし、眠っていたエキサイトブログを引っ張り出したので他のブログツールはわからない。それらは追々に。


今年は、

気を抜くと頑張り過ぎて詰め込むから、何事にもほどほどにする

ホームを拠点に動き回るから、ホームの心地良さを意識する

外壁を作って籠もるから、自分を開放する時間を持つ

新しさを追い求めるより、自分にしっくりくるものを大切にする

長い目線で次の一歩を決める

足元の地固めと広い視野を持つ


そして、食と家庭を疎かにしない






# by ak-produce | 2022-01-11 18:43 | private

分業の時代

2022.1.6 京都新聞

年始論壇インタビュー「長い夢から覚めたのは希望」(名古屋大学教授隠岐さや香氏)を読んで



地域を取り巻く根本的な問題は20年前とさほど変わっていない。

それにいち早く気づき取り組んできた地域は、今さらに危機的な状況でも機能している。

逆に、自身の威厳を保つことに必死なおじさんたちも、まだいる。

地域活動が生きがいなのは悪いことではない。

でも、地域のことを本当に考えるなら、寛大な気持ちで世代交代に踏み込んで欲しい。

「金は出しても口は出すな」(ある地域のリーダーが)

そして私たち(若手と言われる世代)は、自分が地域の一員であることを自覚し、関わることから逃げてはいけない。


氏は、これからの社会では「分業」がキーワードだと言う。

仕事の負担はサラリーマンに、家事の負担は主婦に集中してきた時代は終わった。

どこかに集中するのでなく、分散する。

一人でやった方が早いことも、分けあうことで他者への理解が始まる。

その経験から、自分とは違うやり方や考えを受け入れる寛容さがはぐくまれる。

賢い人がなんとかしてくれる、行政に要望したら応えてくれる、自分以外の誰かへの期待を抱ける時代でもなくなった。

自分が担い手の一人として、社会をつくる当事者として、自覚する。

過去に自分たちの祖先が作ったシステムは、当時の社会背景にはベターだったかもしれない。

社会背景は変わっていく。

今まで通りは逆に自滅に向かうこともある。

40代半ばの私は、自分が未来のことを考えるには老いている、と感じることがある。

これまでの経緯から今のシステムがあること、でも、今のシステムに固執する必要はないこと。

これまでの時代とこれからの時代をつなぐ役割ができればいいのかな、と思う。

これからを生きる世代が、自分たちのことだけでなく、他人や社会、地球を視野に入れて行動することを応援していく。





# by ak-produce | 2022-01-08 13:16 | private

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